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ちょっと昔の話 「戦争とハト」

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昔、鳩というのは最も速く情報を送る手段でした。いわゆる「伝書鳩」です。
ペルシア王が鳥を使って通信をしていたという記述が残っており、ギリシャではオリンピックの試合の知らせをいち早く伝えるために伝書鳩が使われていました。8世紀頃のフランスでは、伝書鳩は貴族だけが持てる権力の象徴でもありましたが、フランス革命後、一般の人々に広く利用され始めます。カエサルも、重要な知らせには伝書鳩を使ったそうです。

現在では、ハトは平和の象徴として日本でも広くイメージが定着していますが、かつてはありとあらゆる戦争で、伝書鳩が活躍していました。

1870年、普仏戦争。パリはプロイセン軍によって完全に包囲され、パリは外界との通信手段を絶たれていました。
伝書鳩は鳩の帰巣本能を利用したものなので、外との連絡には、まずパリから鳩を運び出す必要があり、それもできなかったからです。

パリ市民たちは、ここで熱気球による鳩の運搬を思いつきます。何十基という気球がパリから飛び立ち、そしてパリの現状を伝える文書とともに、何百羽という鳩がこれによってついにパリの外へ運びだされました。諸国は運搬されてきた文書によって現状を知り、また、パリへの帰巣能力を持つ伝書鳩によって自分たちのメッセージを送りました。

完全に包囲されていたにも関わらず、パリとその他諸国との通信は、ほぼ恒常的に行われていたそうで、これによって人々は希望を失わず、内部崩壊を逃れていました。
この頃にはマイクロフィルム化技術が進んでおり、実に三万語からなる文書を、一羽の鳩に持たせることが可能でした。パリ包囲の4ヶ月間、400羽の鳩がマイクロフィルム化された115,000通の政府文書を運び、さらに百万もの私通を届けたと言われています。結局パリは武器を置くことになりましたが、これほど長く持ちこたえたのはこの情報通信のおかげだとも言われています。


第一次世界大戦では、伝書鳩は軍鳩としてさらに多くのメッセージを運ぶこととなります。アメリカ陸軍将のJohn Pershingは伝書鳩の利便性に目を付け、陸軍の通信施設に、それぞれ伝書鳩を管理するように命令を下しました。戦時中に使用された鳩は実に50万羽にも及ぶと言われ、安定した通信手段として用いられました。一次大戦中の伝書鳩による通信成功率は実に95%に達し、前線で戦う兵たちの、まさにライフラインでした。もちろん、それ以外の通信手段もこの頃には発達を見せ、もっぱら有線通信が行われていましたが、伸びた通信ケーブルのどこかを切れば使用不能となるので、両軍ともに、この通信線を遮断するための妨害工作を頻繁に受けました。
この頃の伝書鳩は、自分の位置(座標)を知らせるという役割を多く担いました。海兵は船の位置を伝えるために陸に向けて飛ばし、あるいは移動する戦車の中から鳩たちは飛び立ちました。第一次世界大戦は、伝書鳩使用の絶頂期にありました。多くの鳩が英雄となり、その内の何羽かは勲章を授けられました。

第一次世界大戦での、伝書鳩の活躍を教えてくれる逸話の一つに「消えた大隊(lost battalion)」という物語があります。米第77歩兵師団308連隊の大隊長、ホイットルシー少佐と、その大隊を救った伝書鳩の話です。

敵地深くまで侵攻した大隊員600名(この侵攻自体、上層部によるかなり無謀な作戦であったが、大隊は敵の防衛戦を破って位置を確保していた)は味方の砲兵による誤射を受けていました。敵地深くにまで前進していたために上層部はこの大隊の位置を把握できておらず、ようやく彼らの位置を確認し、援護砲撃を開始した砲兵隊でしたが、その座標さえ間違っていたのです。「消えた大隊」という名前も、このことから名付けられています。

この頃の大砲はその射程が飛躍的に上昇しており、砲兵は目視ではなく、碁盤の目のように割られた座標表を手に、前線からの情報で砲撃を加えるのが主でした。実際どこに着弾しているかは、大砲を操作している砲兵には分からないのです。
映画「The Lost Battalion」では、砲兵隊の指揮官が慌てて砲兵を止め、味方を殺したことに苦しむ描写がありますが、この誤射を止めたのがCher Amiという名前の伝書鳩でした。続く砲撃を受け、他に通信手段を持たない大隊は、この一羽の鳩に望みを託しました。飛び立った伝書鳩を見て、大隊と向き合っていたドイツ兵は発砲し、鳩は傷を負います。
しかし傷つきながらも25マイルもの距離をこの伝書鳩は飛行し、ついに指揮所まで辿り着くことに成功しました。指揮所に辿りついたとき、鳩は片目を失っていた上に、胸には銃弾が残り、しかも文書がくくり付けられた足はほとんど取れかけていました。この伝書鳩のおかげで砲撃は止み、まもなく大隊は助け出されました。

Cher Amiは勲章を与えられ、死後剥製としてスミソニアン博物館に展示されています。

今では通信技術が発達し、我々が通信手段として鳩を利用することはほとんどなくなりました。利用している人も、伝書鳩を趣味にしているというのが多くの理由だと思いますが、かつて多くの家々の窓に伝書鳩用のゲージが設置され、兵士は彼らと共に戦場を歩いていました。手紙や文書の他にも、医者がたどり着くのに時間がかかる僻地では薬品を運んだり、報道屋がカメラのフィルムを持たせていたこともあったそうです。
鳩が人々を一喜一憂させていた時代は、想像するとなかなか趣があるように感じられます。



http://www.pigeoncenter.org/militarypigeons.html
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コメント:

株指標 : 2012/05/30 (水) 15:33:18 修正

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

名無しさん@ニュース2ちゃん : 2012/06/01 (金) 02:31:08 修正

youtubeで消えた大隊見てから来た。
勉強になった。スミソニアン博物館行ったときには是非チェックしたい
修正用パスワード :

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まとめwoネタ速neo : 2012/05/26 (土)

まとめtyaiました【ちょっと昔の話 「戦争とハト」】

昔、鳩というのは最も速く情報を送る手段でした。いわゆる「伝書鳩」です。ペルシア王が鳥を使って通信をしていたという記述が残っており、ギリシャではオリンピックの試合の知らせ... … >>この記事を読む

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